嫌われる勇気 感想文

我々の現在。そして未来は、すべてが過去の出来事によって決定済みであり、動かしようのないものである。

ex)親から虐待を受けた子供は引きこもりになってないとおかしい。

  •  目的論

目的が先に来る。そのあとにそれを理由づけるものが後から来る。

ex)「外に出たくないから、不安という感情を作り出している。」

✖「不安だから、外に出られない。」

 

「人は変われる」という前提がある。

 

  • 感情の存在を批判しているのではない。誰にでも感情はある。しかしもしも「人は感情にあらがえない存在である」というのであれば、それは間違いである。

 

  • 今の自分が幸せだと実感できないのであれば、そのままでいいはずがない。

 

  • 大切なのは何が与えられているかではなく、与えられたものをどう活用するかである。

 

  • なぜ自分のことが好きになれないのかそれはあらかじ「自分のことを好きにならないでおこう」と決めつけているからである。そして自分が他社から嫌われ、対人関係の中で過剰に傷つくことを恐れているから。

 

  • 「もし赤面症がなおったら、、、」と可能性の中で生きることができる。

 

  • 我々を苦しめるのは客観的な事実ではなく、主観的な解釈である。

 

  • 劣等感それ自体は悪いものではない。それは、努力や成長を促すものでもあるから。劣等コンプレックスとは自らの劣等感を言い訳に使い始めた状態のことを指す。

 

  • 健全な劣等感とは他社との比較から生まれるものではなく、理想の自分との比較から生まれるものである。我々が歩くのは他者と比較するためではない、今の自分よりも前進しようとすることにこそ価値があるのだ。

 

  • 他者の課題に介入することこそ自己中心的な発想なのである

 

  • 他者を仲間だとみなし、そこに「自分の居場所がある」と感じられることを共同体感覚といい、それこそが対人関係のゴールなのである。

 

  • 「他者からどう見られているか」ばかりを気に掛ける生き方こそ「わたし」にしか関心を持たない自己中心的なライフスタイルなのである。

 

  • 人は「私は共同体にとって有益なのだ」と思えた時にこそ、自らの価値を実感できる。他者から「よい」と判断されるのではなく、自らの主観によって「私は他者に貢献できている」と思えること。そこで初めて我々は初めて自らの価値を実感することができる。

 

  • 目上の人を敬うのはだ確かに大事だが、意識の上で対等であること、そして主張すべきは堂々と主張することが大切なのだ。

 

  • 自分への執着を捨て、他人への興味に切り替え、共同体感覚を持てるようになること。そのために必要なのは「自己受容」、「他者信頼」、「他者貢献」である。

 

  • 自己受容は自己肯定とは違う。たとえばテストで60点をとったときに「自分は本当は百点をとれるけど今回はたまたま60点だったんだ」とごまかすこと。自己受容とは「今回は60点だったけど次はどうしたら100点をとれるか考えよう」とする態度である。

 

  • 「信用」とは条件付きの話。「信頼」とは他者を信じるにあたって一切の条件を付けないこと。

 

  • 真剣であることと深刻であることは違う。